大妻女子大学 大森正司 名誉教授

日を増すごとに活発になる「食を科学する」取り組み。この視点で色んな研究室を紹介する。


食事のおともに欠かせない「お茶」。日本のお茶や茶葉について長年研究を続けてきた大妻女子大学・大森正司名誉教授に、お茶との出会いから未来の展望までをお聞きしました。

(インタビュー:味香り戦略研究所 髙橋貴洋、文:味香り戦略研究所 松山彩)

大妻女子大学 名誉教授 大森正司(おおもり・まさし)氏

―これまでに取り組まれてきた研究について教えてください。

「東京農業大学大学院生時代は、有機水銀による水俣病が大きな社会問題となっておりました。このような事から有機水銀剤ではなく、安全な農薬を開発することを目的に、研究に励んでいました。つまり、アミノ酸やペプチドを合成して、選択的除草効果・発芽抑制効果を持つ農薬を開発し、これは味の素(株)の特許取得までに至りました。その後、大妻女子大学への赴任が決まり、当時の恩師である小幡先生から突然に「紅茶を作れ!」と勅命が有り、お茶の研究に携わることになりました。」

「お茶については右も左もわからない状態だったので、静岡の国立茶業試験場(当時)で紅茶の作り方から勉強を始めました。私が研究していたのは和紅茶だったのですが、海外の紅茶と比べると、香りの点で全く勝負にはならないものでした。こんな折、「スリランカの茶園は赤かった。」との山西先生の視察報告があり、これを耳にした小幡先生は、その茶園には赤色酵母が関係している、ということに気付きました。赤色酵母が関係していると言うことは、β-カロテンが関係しているということです。このβ-カロテンが紅茶の良い香りを生むのではないか?という仮説を基に、“ダージリンなどの世界的な紅茶に負けない紅茶を日本で作る”を目標に静岡で紅茶を生産しながら研究を続けました。その効果は驚くほどにてきめんでしたが、残念ながら、β-カロテンから紅茶に特徴的な香気成分を作るメカニズムまでは解明できませんでした。しかし、その紅茶製造工程では、β-カロテンが1/3にまで減少するところから、当時の大学院学生がβ-カロテン分解酵素をテーマに研究担当し、学位を取得させることができました。当初は「農薬の研究を続けたい」という思いがありましたが、小幡先生がアイディアマンで、様々なテーマに取り組んだことが今に繋がっていると思います。」

―50年前、紅茶は流行していたんですか?

「昭和40年代までは、国産紅茶の輸出が盛んでしたが、安くて香りのよい海外紅茶が輸入されるようになり、国内の紅茶市場は壊滅的に落ち込んでしまいました。しかし、近年になって緑茶需要が減少しているところから、再度、和紅茶に注目が集まってきています。」

「しかし、和紅茶にはなかなか芳香がでないという特徴と言えば特徴、欠点と言えば欠点があります。日本は大量に肥料を与えてお茶を生産します。それゆえ、日本の緑茶はアミノ酸含有量は高く味は良いのですが、香りは出なくなってしまうという側面があります。「緑茶は味、紅茶は香り」が重要と言われ、紅茶は香りが良くなければ勝負になりません。和紅茶で世界の紅茶に勝負を挑むのであれば、新しい技術なども、より多く取り込んでいく必要があると思います。日本のお茶文化は長い伝統や歴史があり、これは世界に誇るべきものと思われます。しかしまた一方では閉鎖的な風習があり、業界全体でお茶の品質向上に努めようという動きは小さいように感じます。お茶農家さんや茶商さんが消えてしまうことはお茶文化の危機に繋がりますので、業界全体で品質や技術力を高めていこうという動きが盛んになってくれると嬉しいですね。」

―有機・自然栽培の流行や健康志向の波がありますから、最近の茶業界は追い風を受けているように感じます。

「確かに世界的にみればお茶は成長産業ですが、日本の中でみるとお茶の生産量や消費量は減少傾向にあり、ジリ貧産業のひとつとなってしまいました。日本のお茶業界を盛り上げていく方法として、①有機栽培のお茶を海外に輸出していくこと、②他製品と比較して品質を向上させること、③新しい生産技術の活用、④従来のお茶にはない機能性を有する茶の開発が、必要と考えています。例えば、煎茶は生産が大変な割に、近年の核家族化の進行に伴って、消費・需要が減少してしまうと言う背景がありますので、緑茶にCTC加工技術(※紅茶ティーバックなどの細かなカールした茶葉にする方法)を応用するなどして新しい煎茶の開発を進めています。抹茶や一番茶などは世界的に有名ですが、2番茶や3番茶はまだまだ知名度が低い為、日本のお茶が生きていくための道を模索し続けたいと思います。」

―研究を続ける中で驚かされたことや教訓はありますか?

「サイエンスでは「気づき」が最も大切だと思っています。そのためには何事によらず「比べてみる事」、比べてみれば違いが分かる、違いが分かれば何故?との、研究の入り口が見つかることですね。学会などで発表を聴いて、そこで、様々な質問に耳を傾けます。それを聴いて「なるほど」なのか、「えっ?」との驚きなのか、ものを見る視点を多面的に広げたいと考えています。」

―今後取り組んでいきたい研究などはありますか?

「人々の平均寿命が延びていく中で必要となるものがなにか?どのような生活スタイルがよいのか?を食事とお茶の関わりを絡めて紐解いていきたいと考えています。1人でも多く長生きをし、幸福な生活を送れるような、茶のある豊かな生活を提案していきたいです。」

「私も日ごろからお茶を飲むようにしていますが、飼っている2歳になる愛犬にもお茶を飲ませたり、茶葉を食べさせては、「なー、お前、元気で可愛いな!」と頭をなでて、会話をしています。(笑)」

―大森先生の考える日本の食の未来、フードテックについてお聞かせください。

「フードテックについては、持続可能な食糧生産技術の向上が重要だと思います。アレロパシーなど植物生態学的な性質を活かした効率の良い循環型農業などの技術が盛んに研究されていくことに期待しています。」

「食の未来ですが、40%を割り込んでしまった日本の食糧自給率を改善し、どんなに便利な世の中になっても“調理をすること”や同席同食“団らんの食事”は大切な事と思います。現代の日本は、茶の間で急須でお茶を淹れて飲むという習慣や、好き嫌いせずに食べるという風習が無くなってきているように感じます。こんな時代だからこそ「心に茶の間を置く」精神を大切に、お茶を飲みながら親子で語り合う時間を共有し、文化や食育、心の教育に繋がればいいなと思います。」

《PROFILE》

大森 正司先生
Masashi Omori

1970年  東京農業大学大学院・農芸化学専攻博士課程修了
      大妻女子大学講師、助教授を経て教授
現在    大妻女子大学「お茶大学」校長

NPO法人 日本茶普及協会 理事長
NPO法人 日本食行動科学研究所(IFBS) 所長
お茶料理研究会 事務局長
茶需要拡大推進協議会会長
日本茶業体制強化推進協議会会長

研究分野
茶をはじめとした伝統発酵食品の科学と効能研究
伝統発酵食品に関する科学と文化の研究

主な著書
お茶で若く美しくなる(読売新聞社)
緑茶・紅茶が命を守る(愛育社)
茶の化学(朝倉書店)
成人病に効く お茶料理(第一出版)
日本の後発酵茶(さんえい出版)
お茶の本(BABジャパン)
お茶大研究(PHP)
おいしいお茶の教科書(PHP)
茶の事典(朝倉書店)
お茶の科学(講談社)など約80冊