香りでスピード感が変わることを発見
国立研究開発法人情報通信研究機構
〜レモンは遅い、バニラは速い〜
ポイント
- 世界で初めて、香りで映像のスピード感が変わる(低次の感覚)新たなクロスモーダル現象を発見し、科学的に実証
- 香りの新しいクロスモーダル現象の発見は学術的に意義深いだけでなく、様々な産業応用にも期待
国立研究開発法人情報通信研究機構(NICT、理事長: 徳田 英幸) 未来ICT研究所 脳情報通信融合研究センター(CiNet)の對馬淑亮主任研究員らは、心理物理実験とfMRI実験によって、香りで映像のスピード感が変わる新しいクロスモーダル現象※1を発見しました。今回発見したのは、ヒトはレモンの香りが伴う時は、映像が遅く、バニラの香りが伴う時は、映像が速く見えるという現象です。また、香りで感情や記憶といった高次※2の脳機能ではなく、低次※2の感覚(映像のスピード感)が変わることを発見したことは世界で初めての成果です。
本成果は、視覚と嗅覚の新たなクロスモーダル現象の発見として学術的意義があるだけでなく、クロスモーダル現象を活かしたVRやエンターテインメントなどへの様々な産業応用も期待されます。
本成果は、2021年8月2日(月)に、スイスの国際学術誌「Frontiers in Neuroscience→論文情報」に掲載されました。
背景
ヒトは視覚、聴覚、嗅覚など、いわゆる五感を通して外界の情報を得ていますが、例えば、映画を見ているときは視覚と聴覚、料理をしているときは嗅覚と味覚など、いくつかの異なる感覚を同時に使い、さらには、お互いの感覚に影響を及ぼし合いながら外界の情報を処理しています(クロスモーダル現象)。中でも、嗅覚刺激によるクロスモーダル現象は、香水のように香りによって自身や相手の気分を変える効果や、アロマセラピーのようなリラクゼーション効果などが知られており、日常の様々な場面で楽しまれています。しかし、そうした嗅覚刺激を利用したクロスモーダル現象の科学的研究は未だ発展途上であり、不明な点が多いのが現状です。その主な理由として、嗅覚刺激の制御の難しさ、嗅覚刺激に対する感性評価の難しさなどが挙げられ、それらは香りのクロスモーダル現象を研究する上で、大きな課題でした。
今回の成果
今回、NICTは、心理物理実験の手法やfMRI※3実験を駆使することで、香りで映像のスピード感が変わることを心理学、生理学データに基づき科学的に実証することに成功しました。
実験では、NICT発のベンチャー企業である株式会社アロマジョインのAroma Shooterを使用することで嗅覚刺激を制御し(図1左上参照)、心理物理実験の手法を用いて、実験参加者にモーションドット(小さな動く白点、図1左下参照)の動きの速さを回答してもらいました(詳細は補足資料参照)。この結果、同じ速さの場合でも、無臭時に比べてレモンの香りが伴う時は遅く、バニラの香りが伴う時は速く感じることを発見しました(図1中央参照)。また、fMRI実験で、実験参加者はfMRI装置内でほぼ同様の心理物理実験を行い、脳活動を調べたところ、香りによって視覚野(hMT、V1)※4の脳活動が変わることも確認され(図1右参照)、視覚と嗅覚のクロスモーダル現象の存在が心理学、生理学データに基づき実証されました。
嗅覚刺激によるクロスモーダル現象は、これまで、感情や記憶のような高次の脳機能への影響が取り沙汰されることが多くありましたが、嗅覚刺激が映像のスピード感のような、脳機能の中でも低次の感覚に影響を与えることが発見されたことの学術的意義は大きいと考えています。また、心理学の問題で、「レモンは速いか、遅いか」という問いに、多くの人が「レモンは(どちらかといえば)、速い」と答えることがわかっていますが[1]、レモンやその香りの印象が、何らかの形で、スピード感と関連することが今回の研究結果からも示され、クロスモーダル現象とは何か、感覚とは何か、ヒトの情報処理の特性を知る上で、今回の研究結果は非常に示唆に富んだ研究成果であると言えます。
今後の展望
香りによって、なぜ映像のスピード感が変わるのか、また、変わる理由は、時間感覚が変わるからか、注意の配分が変わるからか、など、その詳細なメカニズムを引き続き調べていく必要があると考えます。
NICTでは、基礎研究にとどまらず、今回の発見をVRやエンターテインメントなどへの産業に応用することも視野に入れ、今後の研究開発を行う予定です。
論文情報
論文名: Olfactory stimulation modulates visual perception without training
掲載誌: Frontiers in Neuroscience
DOI: 10.3389/fnins.2021.642584
著者: Yoshiaki Tsushima, Yurie Nishino, and Hiroshi Ando
なお、本研究の一部は、国立研究開発法人科学技術振興機構(JST)の「けいはんなリサーチコンプレックス」の一環として行われました。
〈補足資料〉
実験概要
本研究の実験デザイン、実験装置を以下に示します。
・心理物理実験
実験参加者は画面にモーションドット(小さな動く白点)が出る前に、1秒間、レモンかバニラの香り、もしくは無臭の空気を噴射されます。その後、1秒間提示されるモーションドットが速かったか遅かったかをキーボードで答えます(わからない場合でも、速いか遅いかの二択で答えます)。香りの強度は、レモン、バニラが各2段階(レモン100%、レモン50%、バニラ100%、バニラ50%)、モーションドットの速さは7段階あり、実験参加者は休憩をとりながら、計525試行の実験を行いました。実験結果から、各実験参加者が異なる香りの条件でも同じ速さと感じるモーションドットの速さ(point of subjective equality PSE: 主観的等価点)を算出し、異なる香りが映像のスピード感に与える効果を定量的に調べました[2]。
・fMRI実験で使用した嗅覚提示装置
fMRI実験では、fMRI装置用のArco System社の嗅覚提示装置、鼻マスクが使われ、実験参加者はfMRI装置内でも、心理物理実験とほぼ同じ環境で、安全に実験を実施しました。
なお、今回実施したすべての実験は、NICTの倫理委員会の承認を得ており、実験参加者には実験内容を事前説明の上、参加への同意を取っています。
* Aroma Shooterは、株式会社アロマジョインの登録商標です。
* その他、各会社名、各製品名及びサービス名などは、一般に各社の商標又は登録商標です。
参考文献
[1] Woods, A. T., Spence, C., Butcher, N., and Deroy, O. (2013). Fast lemons and sour boulders: testing crossmodal correspondences using an internet-based testing methodology. i-Perception 4, 365-379.
[2] Tanaka, Y. (1961). Determination of the point of subjective equality in the constant method procedure, Jpn. Psychol. Res. 3, 193-199.
〈用語解説〉
※1 クロスモーダル現象
ヒトの感覚において、視覚と聴覚、味覚と嗅覚など、本来別々とされる感覚が互いに影響を及ぼし合う現象のこと。
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※2 低次、高次
ヒトの脳情報処理には階層性(ヒエラルキー)があり、外界の情報を把握するためには、目や鼻などの感覚器から得た情報を、脳の感覚野で処理するという低次の脳情報処理にはじまり、その後、感覚野で処理された情報を使って感情や記憶といった高次の脳情報処理が行われるという考え。
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※3 fMRI(機能的磁気共鳴撮像法、fMRI: functional Magnetic Resonance Imaging)
核磁気共鳴の原理を利用して、脳の神経活動に付随して生じる局所的な血流変化を計測し、画像化する手法。
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※4 hMT、V1
hMT(human middle temporal)は、主に視覚情報の動き(運動知覚)にかかわる脳の視覚野(下図 赤色)。
V1は第一次視覚野のことで、最も初期に視覚情報を処理する脳の視覚野(下図 緑色)。
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本件に関する問合せ先
未来ICT研究所
脳情報通信融合研究センター(CiNet)
脳機能解析研究室
對馬 淑亮
E-mail:tsushima@nict.go.jp
広報(取材受付)
広報部 報道室
Tel: 042-327-6923
E-mail:publicity@nict.go.jp
出典:2021年8月19日 情報通信研究機構(NICT)プレスリリース
http://www.nict.go.jp/press/2021/08/19-1.html