「陸上養殖」から見えてくる食の未来とは
自分たちがニホンウナギを食べつくして地球上から絶滅に追い込んだとなれば、日本人にとって内心穏やかではないだろう。ニホンウナギが絶滅危惧種のリストに入っていることに気を病んでいる人も多いのではないか?
日本は周りを海に囲まれた海洋国家で、古来より漁業は私たちの食生活を支えてきた。しかし、日本の漁業生産量は水産庁のデータによると、1984年に1,282万トンでピークを打ってから後は、ほぼ一貫して低下し続けている。2018年は412万トンで、およそ三分の一にまで落ち込んでいる。
さらに現在では、このうちの四分の一は、「海面養殖」により生産されている。そのような状況下で、消費者の魚離れは進んでいる。一人当たりの食用魚介類の消費量は、2001年の過去最高40.2キロから、2016年には24.6キロにまで減少している。たんぱく質の摂取量はほぼ横ばいであるから、その減少分は肉類が代替しているのだが、肉類は1989年の25.8キロから2016年には31.6キロにまで増えている。それに応じて、漁業生産額は、1982年の約3兆円から2018年にはほぼ半減している。
気がかりなのは食用魚介類の自給率だが、1960年代は100パーセントを超えていたものが、近年では6割弱にまで落ち込んでいる。つまり、海洋国家日本において魚介類ですら4割は輸入に頼っているのが現状なのである。
そこで今回は、アトランティックサーモンの「陸上養殖」により、食糧の安定供給、食の安全、海洋汚染、生物多様性、地域社会の持続的な維持といったSDGsで取り上げられているような多くの課題をビジネスの枠組みで解決しようとしているグローバル スタートアップ企業Pure Salmon(以下、ピュアサーモン社)の日本法人・ソウルオブジャパン(以下、SOJ社)代表のエロル・エメド氏に話を聞いた。
SOJ社のビジネス・モデルは極めてユニークであり、このビジネスが成功すれば、旧態然とした日本の漁業は根底からその在り方が問われ、少し時間軸を長く取れば私たちの食文化にも大きな影響を与える可能性がある。「とる漁業」から「育てる漁業」へ、規模の大型化、垂直統合、グローバル化といった産業のルールの変化への対応が急務であることを痛感させられるインタビュー内容となった。
《PROFILE》
エロル エメド
Erol Emed
20年以上にわたる投資運用および事業開発の経験を持つ。
2007年まで約17年間勤務したソシエテ ジェネラル アセット マネジメント(SGAM)日本法人の元最高投資責任者、オルタナティブ商品担当責任者、執行役員会メンバー。
2007年から2009年までは、ピーク時に30億米ドル以上を運用していたアジア最大のヘッジファンドのリサーチ・ディレクターを務めた。主な功績としては、リスクおよびコンプライアンス管理手法の制度化、正式な投資プロセスの導入、アナリストおよびショートポジションの全体的なパフォーマンスの向上などが挙げられる。
2009年から2012年末まで、トムソン・ロイター社のシニア・ディレクターとして、投資管理コンテンツの作成を担当。主な実績として、2つの製品を立ち上げた。投資銀行やファンドマネジメントの顧客向けの「Investment Views」、トレーダー向けの「Trading Japan」の2つのプロダクトを立ち上げるなどの実績を残す。
2013年には、日本の中堅・中小企業を対象としたM&A・事業開発アドバイザリーファームであるTJTアドバイザリーを設立。ニッチな業界や先進的な業界からクライアントを集め、市場参入、プロダクトプレイスメント、投資戦略の立案に成功する。大阪の中堅企業がフィリピンで30%近い市場シェアを獲得し、マーケットリーダーの地位を獲得するのを支援。また、外資系企業の日本市場への参入に関するコンサルティングも行った。
1997年にCFA資格を取得し、2001年にファイナンシャル・リスク・マネージャー資格を取得。オックスフォード大学ニューカレッジで数理ファイナンスの修士号を取得。国際大学で国際関係学の修士号を取得。トルコのMiddle East Technical Universityで土木工学の理学士号を取得。
これまでに数本の論文を発表し、公的シンクタンクの客員研究員を2回務め、日本の年金政策に関する政策白書の執筆や研究を行っている。
日本では“衰退産業”の漁業だが、世界では“成長産業”である
―一言でいえば、私たちの食卓を支えていた日本の漁業の現状は、「衰退産業である」と言えるのではないでしょうか?
確かにその傾向はありますね。一方、世界に目を転ずれば、日本の食が世界遺産に登録されたことからも分かるように、日本食ブームが続いており、世界の食用魚介類の需要は急速に拡大しています。これは、魚中心の日本食が世界的な健康意識の高まりの中で評価されてきたことや、多くの発展途上の国々が豊かになってきたことも関係していると思います。
興味深いのは、この魚の消費量が急拡大する中で、供給面で大きな変化が起きていることです。1990年代から「とる漁業」から「育てる漁業」への転換がきわめて明確にみられるという点です。
世界の漁業生産量は、2018年は約2億1,000万トンですが、養殖で生産される量がすでに過半数を超えています。ただし、このように「食」を取り巻く環境変化の中で、SDGsと食が密接にかかわっていることに改めて気づかされ、多くの課題を解決する可能性を秘めた閉鎖循環式「陸上養殖」に、私たちのグループは注目したのです。
―その「陸上養殖」ついて、少し説明をお願いいたします。
海水面での養殖では、サケ・サーモン類が群を抜いています。中でも圧倒的な存在感を示しているのがアトランティックサーモンです。日本のサケ・サーモンの消費量は、およそ年間40万トンですが、その半分がノルウェーとチリから輸入されるアトランティックサーモンなのです。これまで海面で行われてきたアトランティックサーモンの養殖が、RAS(recirculating acuaculture system:循環ろ過養殖システム)と呼ばれる「陸上養殖」で商業的に実現可能になってきました。
RASは、海水の入ったプール(飼育槽)の中で養殖を行います。余った餌や魚の排せつ物などにより汚れた海水を入れ替えるのではなく、ろ過し循環することでコントロールされた飼育環境を構築します。RAS自体はそれほど新しいものではありません。近年注目されているのは、このシステムをより大規模かつ閉鎖された建物の中につくることです。外部とほぼ遮断された人工的な飼育環境の構築を可能とする閉鎖循環式「陸上養殖」と呼ばれます。
参考:https://www.pure-salmon.com/ja/home-jp/
―現在ビジネスとして成立しているすべての魚介類の養殖は、淡水であれ、海水であれ、河川、湖沼、海面などの自然環境を活用している。完全な人工的な環境で、卵の孵化、稚魚の育成、稚魚から成魚までの成長を、海面養殖、あるいは天然魚と同等なレベルまで人為的に行うことがこれまでは、コスト的な面から困難だった。これはある意味当たり前で、生育に適した自然環境を人為的に作るには、相当のエネルギー、つまり電気が必要になりますからね。
私たちが、閉鎖循環式「陸上養殖」に注目し、ビジネスをスタートしたのは、商業レベルでRASにより高品質の商品を生育・生産することが証明されたからです。このことを証明したのは、ピュアサーモン社が運営するポーランドのワルシャワ近郊にある生産能力580トンのプラントでした。つまり、「サーモンを養殖できるかどうか」という実験的な証明ではなく、「海面養殖のアトランティックサーモンと張り合って、ビジネスとして成立する」ということを確認できたのです。
実際、日本のバイヤーにも現地まで来てもらいました。舌の肥えた日本人バイヤーの評価は、味、匂い、脂質、色、身のすべてにおいてほぼ100点に近いものでした(笑)。
このポーランドの施設での成功を背景にして、ピュアサーモン社は世界中にプラントの展開を考えています。まず先行しているのが、日本のSOJ社なのです。当社では2019年から三重県津市に年間生産量1万トン規模のプラントを建設中で、2024年内の製品の出荷となる予定です。その後、フランス、アメリカと続き、2025年には世界中で26万トンの生産を目指しています。
SOJ社が考える類似の企業・商品に関する優位性
―閉鎖循環式「陸上養殖」の最大の特徴は、“陸上で養殖”する点ですね。多くの国で公的なルールにより運営されている漁場という共同利用の場では、大規模なイノベーションを起こそうとすれば多くの利害関係者との調整が必要になる。この「陸上養殖」の施設は、そのような既存のしがらみに縛られることなく、極論すれば東京のど真ん中に作ることも可能となる。イメージとしては、工業製品をつくる工場に似ていますね。
日本においては、三井物産が出資したFRDジャパンが千葉県木更津市でトラウトサーモンのパイロットプラントを運営中であり、ノルウェーのプロキシマーシーフード社も新東名高速道路の小山ICの近くにプラントを建設予定です。このほか、丸紅もデンマークの企業を買収してこの分野に参入してくるという。このように、2020年代は、アトランティックサーモンの「陸上養殖」が日本でも本格展開する中で、SOJ社には、どのような優位性があるのでしょうか?
大きく分けて、3つの優位性があると考えています。
まず、大規模な養殖事業であること。年産1万トンは日本市場の10%に相当し、『商業化』することで消費者に『安定供給』が実現できます。(全世界での取り組みも同じ)同時に『産業化』が達成できる。単一魚種でひとつのサーモン産業が成立します。産業化とは、伝統的な一次産業(狩猟、採集、漁撈)から、二次産業(製造→販売→消費のサイクル)が確立することです。
次に、確立した養殖技術です。
日本のバイヤーにお墨付きをいただいた味、つまり養殖技術を確立していることでSDGsを標榜する企業として、他社と比較した場合の優位性は高いと考えています。
3つめは、環境に対する取り組みを行う企業としての存在意義です。
道徳的な削減、軽減努力ではなく、物理的かつ経済的に解決できること。サーモンの生産・消費が進めば進むほど、環境負荷を積極的に削減することが可能となります。
「海面養殖」で問題となる環境汚染を防ぐことができる!
狭い海域で大量の養殖を行うと、食べ残した餌が海底に沈殿する。これが原因となり魚が感染し病気になる確率が上がります。これを防ぐために抗生物質などの薬品の投与が行われます。現在は、これらを食べた人にも影響が出るといった問題が指摘されています。
閉鎖循環式「陸上養殖」においては、清潔な水資源はろ過されて、ほとんどが排出されずに循環するので外部環境を汚染することがありません。清潔な生育環境では、抗生物質などの薬品を投与する必要もないので製品は安全です。また、餌の量を適切に管理できる点も優れています。海面養殖で課題とされるこれらの問題を、すべて解決することが可能となるのです。
地産地消は、環境にやさしい!
カーボンフットプリントには、運送・流通にかかるエネルギーも算入されています。地理的に遠く離れたノルウェーやチリで生産されたものを、日本まで輸送するにはそれなりのエネルギーを要し、環境負荷を発生させることになります。
サケ・サーモンの大量消費地である、日本のプラントで生産され、加工されたものが、近郊の消費地で販売・消費されることは、これらの点からも望ましい。同時に加工やメンテナンスなど、関連する企業が集積することで、地域の活性化にも繋がります。
マイクロプラスチックの問題もない!
最近、海洋汚染で問題になっているものとして、マイクロプラスチックがあります。マイクロプラスチックは、海洋を汚染するのみならず、魚の体内に蓄積され、それを食べることで人間にもマイクロプラスチックが入ってくることが指摘されています。
閉鎖循環式「陸上養殖」においては、このような問題も回避できる。海洋汚染が深刻になるほど、クリーンな閉鎖循環式「陸上養殖」の価値が上がることになるのです。
「ソウルオブジャパン」の競争優位の源泉と、「ピュアサーモン社」の成り立ち
―とは言え、繰り返しになるが、大量の電気が必要になるという問題は残る。魚にとって最適な環境をつくるには、海水をろ過し、循環させ、水温を適温に保つ必要がある。そのためには、多くのエネルギーが必要になる。
日本のエネルギーコストは、世界的に見て高い。この問題を技術的に克服する必要がある。コストは製品価格に跳ね返るので、品質と価格が見合わなければビジネスとして成功することは厳しいと私は思います。
だからこそ当社は今後、多くのプラントを、中国を含めて世界中で展開していく予定です。各プラントのデータはSCADAシステムにより一元的に管理されます。
IoTやAIのテクノロジーを活用し、他社に先駆けて、水温・水質や天候などの環境要因が異なる地球の様々な場所に立地する多くのプラントから、大量のデータをリアルタイムで収集することにしています。
―それらのデータをAI活用で学習すれば、日々のオペレーションの効率化や安定した操業が可能になるばかりでなく、魚の生育環境に直接かかわる給餌のタイミング、ろ過、循環、魚を泳がせるための水流などについて多くの知見が得られるでしょう。
このような知見を活用して、より品質の高い、そしてより低コストの製品の生産が可能になり、競争優位を獲得することが出来るということですね。
餌についても、世界有数の企業とパートナー関係を築き、世界中のプラントで給餌に使われる餌を供給する計画です。さらに、ろ過、循環といったプラント設備についても、最近になってノルウェー企業のM&Aを行いました。
競争優位につながる技術については、自社を中心としたネットワークの中でイノベーションを起こして持続的に競争優位を獲得していく予定です。
―エメドさんのそのようなセンスはどこから来ているのですか。ぜひ、「ピュアサーモン社」との出会いを教えてください。
私はトルコ生まれなのですが、トルコの大学で土木工学を学んだ後、奨学生として来日し国際大学で国際関係論の修士号を取得しました。その後、日本で金融ビジネスに身を置き、Societe Generale Asset Managementに勤務していた時に出会ったのが、Stephane Farouze氏です。
このFarouze氏は、シンガポールに本部を置く投資ファンドの8F Asset Managementの設立者であり、2016年に設立されたピュアサーモン社は、8F Asset Managementの目的を遂行する企業です。私は設立メンバーではありませんが、設立当初からピュアサーモン社のビジネスに携わっています。
―つまりピュアサーモン社のビジネスモデルのデザインは、投資のプロ集団が担っているということですね。
人口が急増する中で、安心・安全な食料(ここではタンパク質)を安定して供給することで、食糧危機を回避するというのがミッションであり、そのための手段が、閉鎖循環式「陸上養殖」によるアトランティックサーモンの生産だった。だからこそ、白紙の状態からベストな解決策を模索することが可能というわけですね。
SDGsが全ての企業にとって無視できない状況になりつつある中で、ESG投資やインパクト投資といった投資による金銭的な見返りばかりでなく、社会的な課題をどの程度克服できたかを成功指標とする投資が急増している。
8F Asset Managementが調達したのは、そのような資金であり、ピュアサーモン社はSDGsで取り上げられている複数のゴールにチャレンジしています。日本法人であるソウルオブジャパンも今年7月に日本格付研究所(金融庁に登録された格付機関)の評価を受け、グリーン性・ソーシャル性の評価と管理・運営・透明性の評価の2つの評価軸で、最高の評価をいただきました。
―本日は、大変に興味深いお話をありがとうございました。
インタビュ−を終えて
エメド氏の「ピュアサーモン社は自分たちの夢」という言葉が印象深かった。インタビューを通じて感じたのは、エメド氏の食のビジネスを考える際の視点の持ち方が普通ではないということである。常にローカルとグローバルの両者をイメージして、問題解決の本質を考えている点が印象に残った。
海洋国家であり、先進国でもある日本としては、本来「世界的な枠組みで漁業資源の管理を行い」、「海の環境保全の務め、生物多様性に配慮したポジションをとり」、「世界の漁業を積極的にリードしていく可能性もあった」のだろうが、既存の日本の漁業に関わっている企業全体をどうにかしようなどと考えていては、良いアイデアなど浮かばないと私は思う。
漁場を持たない工場で生産された魚が、大量に供給されるようになる日がそう遠くない未来に訪れようとしている。考えてみれば、鶏肉も豚肉も牛肉も野生ではなく人間に管理されて生産されている。天然魚もまた、ジビエのように珍重される日が来るのかもしれない。
《Interviewer》
古川 一郎
Ichiro Furukawa
武蔵野大学経営学部長/一橋大学名誉教授。
東北大学助教授、大阪大学助教授、カルフォルニア大学ハーススクール客員研究員、一橋大学大学院商学研究科教授を経て現職