里と海の好循環をつくるための注目すべき挑戦!
はじめに
熊本産アサリの産地偽装が連日マスコミを賑わしているが、この問題の背景には日本が抱える“海の栄養”という大きなエコシステムに基づく課題がある。日本の海や山が生き物にとって以前に比べて住みづらくなったのは、私たちの生活環境の都市化や環境整備にも深い関係があり、富栄養への対応が海の貧栄養をもたらし、植物プランクトンを減少させた。それが牡蠣、アサリ、蛤、ノリといった海産物の養殖に大打撃を与えているのだ。
今回は、自社の養鶏場から出る鶏糞を加工して出来た商品を、“海の肥料”という新しいコンセプトによって市場を開拓し、海と里の好循環の再構築を目指すトリゼンオーシャンズの河津善博社長に話を伺った。鶏糞を活用した里の幸が、海の幸を生み出す好循環を再構築し、豊かな恵みをもたらす自然の再生に繋がるかもしれない。「日本の極上の食材には、食料自給率を向上させるヒントがある」――そんなことを今回のインタビューでは強く感じた。
《PROFILE》
河津 善博
Yoshihiro Kawatsu
1954年福岡県福岡市生まれ。1972年西南学院等学校卒業後、有限会社とり善(現トリゼンフーズ ㈱)に入社し、鶏肉の卸売り、小売りの現場に従事。1998年同社代表取締役社長に就任。加工食品などの開発と並行して直売事業や飲食事業を展開、自社生産の銘柄鶏「華味鳥(はなみどり)」のブランドを確立させる。
2015年代表取締役会長に就任。
2019年にホールディングス制に伴い新設分社として飲食・通販・ペット事業を展開するトリゼンダイニング ㈱、鶏糞の有効活用の研究開発など、農業・環境事業を展開するトリゼンオーシャンズ㈱を設立。
座右の銘「人間万事塞翁が馬」
海と陸は、エコシステムでつながっている
―最初に、「『海の肥料』が近年になってなぜ必要になったのか?」からお話しください。
海に肥料が必要になった理由は、海の貧栄養にあります。興味深いのは、これは海だけの問題ではなく、山、川、里の環境変化に連動して起きており、貧栄養が環境汚染に伴う富栄養化に対処する中から生まれたという点です。
これについては、養殖漁業家の畠山重篤氏がその著書『牡蠣の森と生きるー「森は海の恋人」の30年』の中で歴史的な背景も踏まえて、「海と山がいかに密接に関係して生き物が生育する環境を形成しているか」を、自らの実体験に基づいて説明されています。
三陸のリアス式海岸は、奥まった湾の両側まで迫る山といった地形のおかげで、波が静かで牡蠣の養殖に適している。しかし、波が静かなだけではなく、川を通じて山や里から牡蠣の生育に不可欠な植物プランクトンが必要とする養分が海に流れ込むから適しているのです。ところが、畠山氏が生業である牡蠣の養殖を継ぐ中で問題が発生します。
1943年生まれの畠山氏は、地元の水産高校を卒業すると宮城県気仙沼の舞根湾で牡蠣の養殖を営む家業に本格的に関わることになるのですが、ちょうどこの時期、1950年代から60年代は「水俣病」や「四日市ぜんそく」といった公害病が大問題になった時代であり、日本各地で工場排水や下水処理が不十分な中での生活排水によって、海や川の汚染は深刻な状況になります。経済成長を最優先したこのような時代の中、海では赤潮や青潮といったプランクトンの大量発生による問題が発生するようになる。舞根湾でもその赤潮プランクトンにより牡蠣が大打撃を受けることがあったというのです。
―赤潮や青潮の原因は、海の“富栄養化”にありますね。
海水や川の水にふくまれる栄養分が自然の状態より増えすぎてしまうことを“富栄養化”といいますが、洗剤や農薬、肥料などに含まれる窒素やリンが大量に海に流れ込む中で過栄養となり、植物やプランクトンの大量増殖が発生しました。これが生態系に悪影響を与えてしまったのです。このことが科学的に検証されたので、国を挙げて環境問題に取り組むことになります。それは産業排水や生活排水を浄化することで川や海の環境を守ろうというものでした。
また、洪水などに対処するための河川の護岸工事も、山と海をつなぐ川の役割を変えていきます。このような公害問題への対処や都市生活の安全性の向上のための事業は、人間にとっての水質の改善にはつながるのですが、舞根湾の牡蠣の生育にはネガティブに影響するようになったのです。
過栄養の状況を回避するための方策が、今度は舞根湾の海を“貧栄養化”していきます。このことがわかったのは、1989年から「海は山の恋人」と言うキャッチフレーズと共に、畠山氏を中心に舞根湾を望む岩根山に多くの人々がボランティア参加する植林活動を展開するようになってからです。山の広葉樹林の腐葉土から川を通じて窒素やリン、鉄分が海に流れ込みますが、“海の植物プランクトン”がそれらの養分の吸収を助けることが北海道大学の松永勝彦氏の調査結果で科学的に検証されたのです。植林活動を始めてから5年後のことで、気仙沼湾に流れ込む大川によって、窒素、リン、鉄分が供給されていることがわかったのです。
鶏糞の処理に頭を悩ます
―トリゼンオーシャンズは、なぜ海の貧栄養問題を解消するような商品開発を思い立ったのですか?
私はトリゼンオーシャンズの親会社であるトリゼンフーズの代表取締役会長も務めています。トリゼンフーズ株式会社は、父親の河津善陽が鶏肉販売からスタートした会社ですが、現在ではブランド鶏「博多華味鳥」を中心とした養鶏、食肉卸、加工品販売、飲食店舗まで多様な事業領域で、安全・安心で「うまか!」を届けることをミッションにビジネスを展開しています。
―興味深いのは事業の展開が、水平的に展開していくのではなく、垂直的に展開しておられる点です。すでにコツを掴んでいる得意分野に経営資源を集中的に投下するのではなく、「うまか!」を実現するために「うまか!」に関連する未知の領域に積極的に踏み込んでいくのが河津社長の経営戦略の特徴ですね。
1970年に始めた養鶏事業も、当初は赤字続きでした。ですが、自然に近い環境下で海藻やハーブ、米糠などを配合した独自の餌を工夫することで、1988年にブランド鶏「華味鳥」の開発に成功し、現在は、1日2万5000羽、年間60万羽の規模にまで拡大しています。
―ただ規模の大きさだけなら1日5万羽、10万羽というところもあります。規模の大きさは利益に直結しますが、ただ単純な規模の拡大を目指すことは好まないようですね。
養鶏場の規模を拡大するのではなく、その代わりに九州産「華味鳥」を食材にした水炊きセットの通信販売を始めました。鶏の水炊きは、博多の伝統的な料理なのです。
―博多華味鳥の水炊きセットは過去5年間、Eコマースのお取り寄せ水炊き部門でダントツ1位ですが、その一方で、“料亭の味”と銘打ったキャッチコピーに対して、顧客からどこの料亭かという問い合わせがあり、このことが飲食ビジネスに本格的に参入するきっかけにもなったそうですね。未体験の領域に進出していくのですから、当然リスクも大きかったでしょう。
飲食店に進出した当初は、店舗規模が大きすぎて顧客対応のオペレーションが追いつかない店舗を開業してしまいました。この時は、開店当日に撤収を決断しましたね(笑)。現在は、30店舗を超えるまでになっています。
―ある事業領域で成功したとしても、単純にその事情において規模の拡大を目指すのではなく、お客様に“美味しい鶏”を届けるという基軸は維持しつつ、垂直的に事業を拡大している点は大変に興味深い。その一方で、ビジネスを拡大していく中で大きな問題になったのが、養鶏場から大量に排出される鶏糞の処理だったのですね。
環境を汚染することはできないですから、工場の排水の浄化には大変厳しいレベルが設定されています。そこで、大量の鶏糞問題を解消するために、鶏糞を使った農業用の肥料の開発に乗り出すことにしました。この分野は弊社にとっては全くの未知の領域でしたが、試行錯誤の末に乳酸菌や酵母などを組み合わせたバイオエキスの開発に成功しました。
このバイオエキスを鶏糞に添加し完全に発酵させることで、ニオイもなく大腸菌なども含まれない良質な有機肥料にすることができるようになったのです。農林水産省の認定もとり、野菜や稲などに有効な肥料としてJAなどで販売することができるようになりました。
広島大学 山本名誉教授との出会い
―未体験の“肥料”という領域に進出し、いまから10年ほど前にバイオエキスの開発に成功し特許も取り、「華燦々」というブランドの肥料を販売できるようになったのですね。
現実にはJAを通じて肥料を販売することが難しいことがわかりました。それは、長年にわたって農家に肥料を販売している既存企業と農家とのつながりが強固だったからです。新規参入が難しいBtoBの壁に阻まれ、「華燦々」の収益化には困難がつきまといました。
―養鶏業にとって未知の領域である化学の世界、肥料の開発という新しい世界に飛び込まれ、鶏糞を発酵完熟させ匂いもない安全な有機肥料の開発というイノベーションに成功するも、マーケティング上の大きな課題が行く手を阻んだということですね。
その通りです。とは言え、河津家のモットーは、幸せが不幸に、不幸が幸せにいつ転じるかわからないのだから、安易に喜んだり悲しんだりすべきではないことを意味する「万事塞翁が馬」です。
幸いなことに、広島大学の山本民次名誉教授との出会いがありました。山本名誉教授は、従来から海の貧栄養に警鐘を鳴らし、主に瀬戸内海をフィールドに貧栄養が貝類、藻類に対してもたらす影響について実証的に研究を進めている方でした。
―陸の肥料としての販売が思うようにいかない河津社長と海の貧栄養化問題に心を悩ませていた研究者が出会ったのですね。
山本名誉教授は、窒素とリンが瀬戸内海で養殖されているノリやアサリの生育にどのように影響しているかを実証的に検討されているのですが、この実験に際して新しく開発された海の肥料「MOFU-DX」はトリゼンオーシャンズとの共同開発です。MOFU-DXは、有効成分の溶出比を海産微細藻の増殖に適したものに調整しています。また、肥料から溶出する栄養塩濃度が適切かつ長期にわたってゆっくりと効果が持続するように設計し、作っているのです。
―このMOFU-DXには、局地的に施肥できるというメリットがあったのですね。
広域に施肥することは効率が悪いばかりでなく、もし富栄養化、過栄養化を招けば、赤潮の発生等の悪影響が懸念されることになります。しかし、アサリなどの養殖が行われる局所で施肥されれば、このような心配をすることはありません。その場合、どの程度の施肥が必要かをデータから計算し実験は行われたのですが、その結果、アサリの重量は0.204gから0.479gへと倍増することがわかりました。
―山本名誉教授の論文を読んで驚かされるのは、貧栄養が養殖業にもたらした壊滅的な打撃です。山本名誉教授も「窒素・リンの流入負荷削減が40年間も続けられたのであるから、水産業が壊滅に向かうのは当然のことである」と述べておられるが、ここに至るまで抜本的な打開策が検討されなかったことに、私はむしろ驚きを感じています。
水産業に携わる人々も行政も動かなかったのですが、幸いなことに、2021年に「瀬戸内海環境保全特別措置法」が改定され、これまでの「水質保全」「自然景観の保全」に加えて、「藻場・干潟の再生・創出」「底質改善」「水産資源の持続的な利用の確保」が盛り込まれます。持続的な水産業のためには豊かな海を復活させる必要があり、植物プランクトンなどの増殖に必要な栄養塩を確保することが重要であることが理解され、行政もその達成に取り組むことが決まったのですね。
MOFU-DXの実証実験は、牡蠣の養殖でも行われています。MOFU-DXの量を3段階で設定し、2020年11月から2021年1月にかけて東広島市の三津湾内のカキ筏で実施されました。実験結果によれば、牡蠣むき身重量に2割〜4割というはっきりした増加が見られます。大変勇気づけられる結果です。このような実験的な海の肥料の施肥は、現在いろいろな場所で行われている最中ですが、どこでも明確な成果が観察されています。
実際に施肥するそれぞれの養殖環境や養殖対象に適した施肥量の予測や施肥の方法については、まだデータの蓄積が不十分であり今後の課題です。ビジネスとしても、まだまだ成功しているわけではなく、大成功と言われるまでには長い道のりが待っていると覚悟しています。
とは言え、現在あらゆる局面で社会的にSDGsが注目されています。このタイミングで、水産業に持続可能な未来を約束する海の肥料の将来性に大いに期待をもって、弊社ではこれからも日本国内だけでなく、世界の食の課題に果敢に挑戦し、取り組んでいく計画です。
―本日は貴重なお話をありがとうございました。
トリゼンオーシャンズ https://www.torizen-oceans.com/
インタビュ−を終えて
鶏肉販売から養鶏業へ、通販からさらには飲食業へと事業を拡大する。養鶏場から出る鶏糞の処理に困って、肥料の事業を始め、優れた有機肥料の開発に成功する。しかし、せっかく良い製品を作っても、市場で思うように売れない。この課題解決のため、販路拡大を考えたが、そこで目をつけたのが、陸の肥料ではなく海の貧栄養化である。ビジネスとは無関係のアカデミアの研究者と出会うことで、鶏糞を活用した「海の肥料」というこれまで誰も考えなかったコンセプトで新製品開発に成功し、市場創造を見据えてトリゼンオーシャンズという子会社を立ち上げる。このような河津社長のハイリスクを受け入れるチャレンジ精神には大いに学ぶところがある。「万事塞翁が馬」の秘訣を少し考えてみたい。
このような事業展開を垂直統合モデルと考えるのは、少し違っているように感じる。垂直的に関連するビジネスを統合するケースは、古くは自動車産業において販社や部品供給会社の系列化がよく知られており、ユニクロのようなSPAも垂直統合モデルとして紹介されることが多い。このように事例においては、在庫の不確実性を解消し経営の効率化を実現する観点から説明され評価される。
「華味鳥」といった素材のブランド化とその素材ブランドを梃子にした販路の確保、顧客体験の創造、そして「海の肥料」といった新しいコンセプトによる製品開発と市場創造などは、在庫、効率化といった観点から綺麗に説明することはできない。垂直的にビジネスを展開しているが、統合しているのではなく、愚直に「うまか!」を届けるという基軸をぶらさずに、リスクをとって多角化戦略を実践しているように見える。
このような経営戦略は、“両効きの経営”を進めているといった方が適切ではないか。両効きの経営とは、知の探索と知の深化の二兎をバランスよく追求する経営戦略である。成功を収めた事業領域の知をさらに深めていくというのが、自社の強みを活かすという戦略的には常識的な考え方である。選択と集中のイメージである。しかし、イノベーションのためには知と知を新しく組み合わせる必要があり、そのためには知の探索を行わなくてはならない。それも、自分の事業領域で獲得した知の外側で行わなければならない。だから、この二つをバランスよく行うのは大変難しいのである。
それまで陸の経験しか無かった会社が海の世界の知を探索するのは、まさに両効きの経営戦略のイメージである。成功すれば、これまでにない新たな知見を蓄積できるはずである。しかし、リスクも当然大きい。したがって、このリスクを誰が負うかという問題を克服しなければならない。トリゼングループを率いている河津善博氏は、それぞれの事業の独立性を強調する。人材面での組織運営においても、例えば、デリバリー部門のエキスパートを養鶏の仕事に割り振ることはないという。それぞれの事業でエキスパートとして成長することが期待されており、また、各事業はそれぞれ黒字化することが求められる。それでも、例外はある。中期長期でチャレンジしている事業領域である。結局、リスクは経営トップが引き受けることに落ち着きそうであるが、このような機動的な組織運営は、組織的に一体感を感じることのできる中小企業ならではの強みである。
「日本の水産業がここまで急速に衰退しているのはなぜか」「日本の食料自給率がジリ貧状態なのはなぜか」を考える意味でも、特にSDGsが注目される今日、トリゼンオーシャンズの“海の肥料”が海産物の養殖にどのような好影響を与えるかに注目したい。両効き経営を実践している河津社長は、MOFU-DXを使って育成された牡蠣を『華匠牡蠣』というブランドで消費者に提供することも考えているという。プリプリと肥えた美味しい高品質の牡蠣を素材ブランド化し、消費者が喜んで高値で購入してくれるのを見たら、保守的な日本の漁業関係者の意識も少しずつ変わっていくのではないかと思う。
《Interviewer》
古川 一郎
Ichiro Furukawa
武蔵野大学経営学部長/一橋大学名誉教授。
東北大学助教授、大阪大学助教授、カルフォルニア大学ハーススクール客員研究員、一橋大学大学院商学研究科教授を経て現職