地域が育む、おいしさのテロワール
《第三回 高知》
発酵は、土地と人と微生物がつくる、おいしさの文化です。
なぜ、この土地で、この味が生まれたのか。
日本各地に受け継がれてきた発酵食品を訪ね、その背景にある風土や知恵、そして目には見えない微生物の働きを、科学の視点からひも解きます。
「発酵の深淵」――土地が醸す、おいしさを探るシリーズです。
ワインのようなお茶があった
幻の碁石茶――四国山間に伝わる発酵文化

香りは紅茶、味わいは赤ワイン。
そんな印象を抱かせるお茶が、四国の山あいにあります。
高知県大豊町。吉野川が流れる急峻な土地で、伝統的な発酵茶「碁石茶(ごいしちゃ)」がつくられてきました。
湯を注ぐと、紅茶を思わせる香りが立ち上がります。口に含めば、一般的な緑茶にはない独特の酸味と複雑な味わいが広がります。
味覚・香り・食感など、「おいしさ」を科学的に分析する株式会社味香り戦略研究所※による分析では、その味わいに赤ワインとの類似性が認められました。
もちろん、碁石茶が赤ワインと同じ味というわけではありません。しかし、私たちが普段思い浮かべる「お茶」の枠を越えた個性を持っています。
なぜ、このような香りと味わいが生まれるのでしょうか。
その秘密を、碁石茶独特の発酵工程からたどります。

※株式会社味香り戦略研究所
味覚・香り・食感などを科学的に分析し、食品の「おいしさ」を可視化する研究・コンサルティング会社。食品や飲料の商品開発、品質評価、マーケティングなどに分析データを活用している。
公式サイト:https://mikaku.jp/
二段階の発酵が生む味わい
碁石茶は、複数の発酵工程を経てつくられる、国内でも珍しい後発酵茶です。
夏に収穫した茶葉を蒸し、積み重ねて一定期間置きます。この工程では、カビなどの微生物が関与します。
その後、茶葉を桶に詰め、重石を載せて漬け込みます。ここでは乳酸菌を含む微生物の働きによって、乳酸発酵が進みます。
つまり、碁石茶は、
微生物の働きを利用した発酵 → 漬け込みによる乳酸発酵
という二段階の工程を経てつくられます。
発酵の進み方は、茶葉の状態、温度や湿度、時間、製造環境などによっても変化します。
発酵を終えた茶葉は四角く切り分けられ、天日で乾燥させます。乾燥した茶葉が碁石のように見えることが、名称の由来として伝えられています。
蒸し、発酵、漬け込み、切断、乾燥。
こうした工程の積み重ねが、碁石茶特有の酸味と複雑な味わいを形づくります。
400年余にわたる歴史
碁石茶は、高知県や大豊町、生産者団体などの資料で、400年余にわたって地域でつくられてきた伝統茶として紹介されています。
その起源や製法の伝来については諸説ありますが、大豊町を中心とする地域で長く生産され、人々の暮らしや流通と結びつきながら受け継がれてきました。
かつては地域外にも広く流通していましたが、生活様式や茶の需要の変化などによって、生産は次第に縮小します。
大豊町碁石茶協同組合によれば、大正時代には数百軒あったとされる生産農家も、昭和末期には一時、一軒まで減少しました。
それでも製法は途絶えませんでした。
現在も大豊町碁石茶協同組合などを中心に、生産、販売、品質維持、製法の継承に取り組んでいます。
山間に受け継がれた製法
碁石茶づくりは、茶葉の収穫から乾燥まで、多くの工程と手作業によって成り立っています。
製造時期や天候にも左右されるため、茶葉の状態や発酵の進み具合を見極めながら作業を進める必要があります。
製造後には、生産者同士で茶葉の状態や仕上がりを確認する「目慣らし会」も行われています。
長年培ってきた経験を共有しながら品質を保ち、次の世代へ技術を伝える。
碁石茶は、古い製法をそのまま残しているだけではなく、自然条件に向き合いながら受け継がれてきた、生きた発酵文化なのです。

発酵は、土地とともにある
発酵食品は、原料と製法だけで生まれるものではありません。
温度や湿度、水、空気。
そこで育つ茶葉。
発酵に関わる微生物。
そして、製造を担う人々の経験と技。
こうした要素が重なりながら、発酵は進みます。
同じ材料と工程を用いても、環境や季節が変われば、発酵の進み方や風味も変化します。
だからこそ、発酵食品には土地の個性が表れます。
もちろん、土地だけが味を決めるわけではありません。原料、製法、発酵条件、乾燥や保管など、さまざまな要因が組み合わさって、ひとつの味わいになります。
碁石茶は、自然環境と人の技が結びついて生まれた発酵食品です。
科学が向き合う「発酵するお茶」
碁石茶については、発酵に関わる微生物や茶葉の成分変化、酸味や香りの形成などを対象に、大学や研究機関による研究が進められてきました。
高知大学や東京農業大学などでも、製造工程や微生物、成分について調査・研究が行われています。
発酵は、目に見えない微生物の営みです。
しかし、その働きは、酸味、うま味、香り、色といった、私たちが感じる「おいしさ」となって現れます。
経験によって受け継がれてきた製法を科学の目で捉え直すことで、碁石茶ならではの風味がどのように生まれるのかが、少しずつ明らかになっています。

国の重要無形民俗文化財へ
2026年3月、「大豊の碁石茶製造技術」は国の重要無形民俗文化財に指定されました。
指定されたのは、碁石茶という商品そのものではありません。
茶葉の収穫、蒸し、発酵、桶への漬け込み、切断、乾燥という一連の製造技術と、それを地域で受け継いできた営みです。
自然条件を見極める知恵。
微生物の働きを利用する技術。
そして、その技を次代へつなぐ地域の仕組み。
碁石茶づくりが、単なる製造方法ではなく、地域の歴史や暮らしと結びついた文化であることを示す指定といえるでしょう。
土地が醸す、おいしさ
一杯の碁石茶をつくっているのは、茶葉だけではありません。
気候や水、微生物、発酵を見極める人の経験。
そして、長い時間をかけて受け継がれてきた製法。
それらが重なり、大豊町ならではの味わいが生まれます。
発酵食品をたどることは、その土地で「おいしさ」がどのように生まれてきたのかをたどることでもあります。
土地が醸す、おいしさ。
碁石茶の一杯には、大豊町の自然と人がつないできた発酵文化が息づいています。

参考資料
大豊町碁石茶協同組合
碁石茶の歴史、製造工程、品質管理、継承活動に関する公式情報
文化庁
「大豊の碁石茶製造技術」の重要無形民俗文化財指定に関する資料
高知県・大豊町
碁石茶の歴史、製造技術、地域での継承に関する資料
高知大学・東京農業大学ほか
碁石茶の発酵工程、微生物、成分に関する研究報告
株式会社味香り戦略研究所
碁石茶の味覚・香りに関する分析資料
公式サイト:https://mikaku.jp/
次回予告
発酵の深淵 第四回
魚は、なぜ「うま味の調味料」になるのか。
秋田の「しょっつる」、能登の「いしる」、瀬戸内の「いかなご醤油」。
地域の海と微生物が育んだ、日本列島の魚醤文化を科学の視点から探ります。

