味や香りだけでは、おいしさは語れない。
「おいしい」を決めているものは、何なのか

おいしさの探究者たち Vol.2

「おいしさは、もっと複雑なのですよ。」
そう語る峯木眞知子先生の口調は穏やかだ。

けれども、その言葉の奥には、長年にわたり調理科学、食品組織学、テクスチャー、官能評価の研究に取り組み、人が食べ物を「おいしい」と感じる瞬間を見つめ続けてきた研究者としての確かな実感がある。

私たちは日常の中で、何気なく「おいしい」「おいしくない」と口にする。

その判断は、舌で感じる味や、鼻に抜ける香りによって決まっているように思える。しかし、同じ料理を食べても、誰もが同じようにおいしいと感じるわけではない。

昨日はおいしかった料理が、今日はあまりおいしく感じられないこともある。
親しい人と囲む食卓では箸が進むのに、一人で慌ただしく食べると、何を食べたのかさえ記憶に残らないこともある。

空腹か、満腹か。
元気なのか、疲れているのか。
誰と食べるのか。
どのような空間で、どのような器に盛られ、どの食具で食べ、どの温度で提供されたのか。

料理そのものは変わらなくても、食べる人の状態や環境が変われば、「おいしい」という感覚も変わる。

さらに、料理に抱く期待や、その商品について事前に得た情報、サービスの質、ブランドイメージ、そしてマーケティングに至るまで──。

「おいしさ」を構成する要素は、無限に近い。

峯木先生のこの言葉は、おいしさが食品だけに備わった性質ではないことを教えてくれる。
おいしさとは、料理と人との間に生まれるものなのだ。

《PROFILE》
おいしさの科学研究所® 理事長
峯木 眞知子

【専門分野】調理科学、応用栄養学
【職歴】平成30年4月東京家政大学家政学部栄養学科教授・副学長・大学院研究科長、令和3年~7年東京家政大学大学院タマゴのおいしさ研究所特命教授、タマゴのおいしさ研究所代表(現在)、㈱味香り戦略研究所技術顧問、令和元年~令和7年 東洋水産株式会社社外取締役
【資格】博士(農学)、管理栄養士、専門官能評価士
【受賞歴】日本調理科学会学会賞・功労賞、日本家政学会学会賞受賞・功労賞
【社会活動・役員歴】日本家政学会本部理事、日本調理科学会本部理事・監事、日本官能評価学会副会長・現評議員、伝統食品研究会理事・現副会長、タマゴ科学研究会理事(平成24年~現在)、一般社団法人共立女子大学・共立短期大学櫻友会会長(令和6年~現在)

ゆで卵の「正解」が、一つではなかった

峯木先生が、おいしさの難しさを実感した研究の一つが、ゆで卵の官能評価だった。
卵をどの程度まで加熱すれば、おいしく感じられるのか。加熱時間によって、黄身や白身の硬さ、香り、口当たりはどのように変化するのか。

一見すると、条件をそろえて比較すれば、答えが導き出せそうな研究である。
しかし、実際に評価を行うと、単純ではなかった。

男性は、沸騰後12分ほど加熱したゆで卵でも、比較的抵抗なく食べることができた。

一方、女性からは「もさもさする」「口の中の水分を取られる」といった声が多く、ゆで卵を好まない傾向が見られた。

官能評価では、多くのサンプルを連続して試食する必要がある。好まれない状態のゆで卵では、評価そのものが負担になり、十分なデータを得にくくなる。

そこで、沸騰後9分ほどの、ほぼ固まりながらも、固ゆで卵ほど、かたくなく、乾いた(ぼそぼそではない)食感ではないゆで卵が用いられた。

同じ卵でも、男性と女性で評価が異なる。

さらに、年齢によっても違いが表れた。

卵が好きな人の中には、ゆで卵特有の硫化水素の香りを「卵らしい」と感じ、好ましく評価する人がいる。

ところが、20歳代の女性では、香りが強い卵よりも、香りの穏やかな卵をおいしいと感じる人が多かった。

卵らしい香りが強いからおいしい人もいれば、香りが弱いからこそ食べやすく、おいしいと感じる人もいる。

高価な卵だから、誰もがおいしいと感じるとは限らない。
鮮度が高く、品質に優れた卵であっても、日頃どのような卵を食べているかによって、評価は変わる。

研究室の中で条件をそろえても、「食べる人」という条件だけは、簡単にはそろわない。

ゆで卵は、峯木先生に一つの事実を突きつけた。

おいしさに、万人共通の正解はない。

人は、これまで食べてきたもので味わっている

人は、目の前の料理だけを食べているのではない。

これまでに食べてきたもの、育った地域、家庭の味、食にまつわる記憶や知識。そうした過去の経験と照らし合わせながら、目の前の料理を味わっている。

アルカリイオン水で炊いたご飯の研究でも、そのことが鮮明に表れた。

官能評価に参加した人の中に、新潟県出身で、毎週精米した米を食べている人がいた。

米どころで育ち、精米したての米を日常的に食べてきたその人は、アルカリイオン水で炊いたご飯を口にして、こう評価した。

「こんなまずいご飯は、食べたことがない。」

一方で、当時、東京では水道水がおいしくないという意識が広がり、ミネラルウォーターでご飯を炊くことが流行していた。

そうした炊飯方法に慣れていた学生たちの中には、炊いたご飯に抵抗を示す人はいなかった。

同じご飯を食べているにもかかわらず、評価は大きく異なる。

その差を生んだのは、味覚の感度だけではない。

どのような米を食べてきたか。どのような水で炊いたご飯に慣れているか。おいしいご飯とはどのようなものかという、個人の中に蓄積された基準である。

低たんぱく米の評価でも、同様の変化が見られた。

初めて低たんぱく米を食べる人の中には、その味や食感を「まずい」と表現する人が多い。

しかし、腎臓病などの食事療法において、低たんぱく米がどのような役割を果たすのか。その重要性を理解した栄養士や、栄養士を目指す学生は、同じ米を食べても「まずい」とは表現しなくなる。

知識が、味そのものを変えるわけではない。

それでも、その食品を見る視点が変わり、評価の言葉が変わる。

食べることは、感覚だけの行為ではない。

人は、意味も一緒に味わっている。

時代の価値観が、「甘すぎる」をつくる

味の好みは、個人の経験だけでなく、その時代の価値観にも影響される。

約20年前、健康意識の高まりとともに、「甘いものは控える」「脂っこいものは避ける」という考え方が広がっていた。

砂糖や脂肪を減らすことが、望ましい食生活につながると考えられ、「甘さ控えめ」「低脂肪」が食品選びの重要な基準になり始めた時代である。

その頃、峯木先生は栄養学を学ぶ学生を対象に、複数のカステラの嗜好調査を行った。

長崎の老舗である文明堂や福砂屋のカステラ、パスコや山崎製パンの商品などを食べ比べてもらったところ、伝統的な製法による濃厚な甘さのカステラは、「甘すぎる」と評価された。

一方、比較的甘さを抑えた商品の方が、好みの得点は高かった。

老舗のカステラの品質が低いわけではない。

むしろ、卵や砂糖を豊かに使った味わいは、長く受け継がれてきた価値そのものである。

それでも、健康や栄養について学んでいた学生たちは、当時の社会に広がっていた「甘さを抑えることは良いことだ」という価値観の影響を受けていた。

味覚は、舌の上だけにあるのではない。

社会の空気や、その時代に共有されている健康観、商品に対するイメージも、「おいしい」「甘すぎる」という判断に入り込んでくる。

だからこそ、先生はマーケティングもまた、おいしさを構成する要素の一つだと捉えている。

人は、商品名やブランド、価格、産地、評判といった情報を知ったうえで食べる。

その情報によって期待が生まれ、期待によって、味わいの受け止め方も変化する。

おいしさは、口に入れる前から始まっているのである。

食感は、味以上に雄弁である

味や香り以外で、おいしさに最も大きな影響を与えるものは何か。

その問いに、峯木先生は迷わず答えた。

「食感ですね。」

カスタードプリンを例に取ると、その違いは分かりやすい。

近年のプリンでは、「なめらかさ」が大きな価値になっている。舌の上で抵抗なくほどけ、口の中に均一に広がるプリンは、官能評価でも高い得点を得やすい。

なめらかなプリンは水分が多く、牛乳の風味も感じやすい。

しかし、同じプリンであっても、食べる温度が変われば、なめらかさの感じ方も変わる。

冷たすぎれば、舌の感覚は鈍くなる。温度が上がれば、香りや甘みの感じ方も変化する。

チョコレート菓子も同じである。

口の中で溶け始める温度、油脂が広がる速度、香りが立ち上がるタイミング。その一つひとつが、チョコレートのおいしさを左右する。

味覚だけを分析しても、おいしさの全体像は見えてこない。

かむ。砕ける。とろける。舌にまとわりつく。喉を通る。

食べ物は、口の中で時間をかけて変化する。

その変化を身体で受け止める感覚が、食感である。

おいしさとは、静止した数値ではなく、口に入れてから飲み込むまでの時間の中で生まれる体験なのだ。

高級料理の後に、ラーメンを食べた理由

どれほど優れた食材を使い、料理人が技術を尽くしても、食べる人が緊張し、味わう余裕を失っていれば、おいしさは十分に届かない。

峯木先生の友人に、高額な料理を食べた人がいた。

料理はすべて完食した。

しかし、周囲に気を遣い、緊張したまま食事を終えたため、店を出た途端に空腹を感じ、ラーメンを食べに行ったという。

胃の中には、高級料理が入っている。

それでも、その人の中には「食べた」という満足感が残っていなかった。

食事の量ではなく、食事をしたという実感が満たされていなかったのである。

急かされながら食べれば、味は分からない。

会話や周囲への気遣いに神経を使えば、料理に集中できない。

同じ料理でも、安心して食べられるかどうかで、満足感は変わる。

また、食べる前の身体の状態も大きい。

引っ越しなどで疲れがたまっているとき、繊細な味わいのちらし寿司をもらっても、食べる気になれないことがある。

そのようなときには、カツ丼や中華丼のような、味の輪郭がはっきりした、力強い料理を身体が求める。

普段なら上品でおいしいと感じる料理が、疲れているときには物足りなく感じられる。

反対に、体調を崩しているときには、濃い味や脂の強い料理を受け付けない。

食べ物が人を選ぶのではない。

そのときの人の身体が、必要な食べ物を選んでいる。

「何がおいしいか」を理解するためには、食品を見るだけでは足りない。

その食品を食べる人が、今、どのような状態にあるのかを見なければならない。

AIは、「誰にとっておいしいか」まで理解できるか

AIやセンシング技術の進歩によって、味や香りの分析は大きく変わろうとしている。

食品に含まれる成分を測定し、味の強さや香りの特徴を数値化する。膨大なデータから、相性の良い食材の組み合わせを導き出し、人間が思いつかなかった新しい味を発見する。

商品開発の速度は上がり、これまでにないヒット商品が生まれる可能性もある。

峯木先生も、食材の組み合わせや新しい味、香りの発見において、AIは有効だと考えている。

しかし、おいしさの未来を考えるうえで、より重要なのは「誰にとっておいしいのか」という問いである。

年齢、性別、地域、国、生活習慣、健康状態、食経験。

人の嗜好は、こうした要素によって細かく分かれる。

これからの商品開発では、大多数に受け入れられる平均的な味をつくるだけではなく、小規模なクラスターごとの嗜好を解析し、それぞれに適した商品や食体験を設計することが求められる。

いわば、嗜好のオーダーメイド化である。

専門家は、長年の研究や商品開発を通じて、「この年代にはこの食感が好まれる」「この地域ではこの香りが受け入れられやすい」といった知識を、経験として蓄積している。

ただし、その多くは、言葉にされていない。

本人にとっては当たり前すぎて説明されていない感覚や、長年の経験によって瞬時に下される判断もある。

そうした専門家の暗黙知を、どこまで数値化できるのか。

AIが解析できる情報へと変換できるのか。

そこに、これからのおいしさの科学が向き合うべき課題があると、峯木先生は考えている。

AIが味や香りを分析することはできても、人が積み重ねてきた経験や記憶、文化まで含めて「おいしい」を理解するには、まだ多くの知が必要である。

AIがおいしさを理解するためには、まず、人間を理解しなければならない。

おいしさを科学することは、人を知ること

「おいしさは難しいのですよ。」

インタビューの間、峯木先生は何度か、この言葉を口にした。

その「難しい」は、分からないという意味ではない。

一つの答えに決められないという意味であり、だからこそ、研究する価値があるという研究者の言葉である。

茹で卵の硬さを変えると、男女で評価が分かれた。

同じご飯を食べても、育った地域や日頃の食生活によって、評価は異なった。

食品の意味を知ることで、「まずい」という言葉を使わなくなる人もいた。

時代の健康観は、老舗のカステラを「甘すぎる」と感じさせた。

高級料理を食べても、緊張していれば満足できず、疲れているときには、身体が濃い味を求めた。

これらのエピソードが示しているのは、おいしさが味や香りの優劣だけで決まるものではないということだ。

そこには、人の身体がある。

記憶がある。

暮らしがあり、文化があり、その日の気分がある。

おいしさを科学することは、食品を分析することだけではない。

その食品を食べる人間を、丁寧に理解することである。

味や香りだけでは、おいしさは語れない。

なぜなら、おいしさとは、人が生きてきた時間と、目の前の一皿が出会う瞬間に生まれるものだからだ。


おいしさの科学研究所®は、味覚や嗅覚、食感、温度、食環境、経験、記憶、文化など、複雑に絡み合う「おいしさ」を科学的に捉え、見える化し、未来の商品開発や豊かな食文化へ活かすことを目指しています。