地域が育む、おいしさのテロワール
《第一回 福岡》

クサいのに、なぜうまい?
博多ラーメン「クサうま」の正体を科学する

発酵食品のおいしさは、なぜこれほど人を魅了するのでしょうか。
味噌、醤油、日本酒、チーズ、ヨーグルト、そして豚骨ラーメン?? その奥深い味わいの裏側では、私たちの目には見えない微生物たちが、それぞれの個性を生み出しています。

本シリーズ「発酵の深淵」では、最新の科学研究をもとに、微生物や発酵が生み出す「おいしさ」の仕組みに迫ります。
第1回は、多くのラーメンファンを魅了する博多豚骨ラーメンの「クサうま」の秘密です。

きっかけは、一杯のラーメンへの疑問

昔ながらの博多の豚骨ラーメンには、好き嫌いがはっきり分かれる特徴的な香りがあります。
上品に表現すれば「芳醇なコク」。
率直に言えば「獣臭」や「酸臭」を伴う独特の刺激です。
この「クサうま」の正体を、九州産業大学の研究チームが微生物学の視点から解き明かし、注目を集めています。

研究の出発点は、ある素朴な疑問でした。
九州産業大学生命科学部の米満宗明教授(食品科学)は、「豚骨ラーメンのおいしさ製法と研究」を研究テーマとしてきました。
「店で食べるあの強烈な風味は、なぜお土産用のラーメンでは再現できないのだろう。」
材料は同じ豚骨主体。それにもかかわらず、決定的に何かが違う。
そこで米満教授は福岡県内のラーメン店を訪ね歩き、スープの製法や成分を調査しました。
すると、独特の「クサうま」な香りを持つ店には、ある共通点がありました。

呼び戻し製法が育む、店ごとの味

それが「呼び戻し(継ぎ足し)」と呼ばれる伝統的な製法です。
毎日スープをすべて入れ替えるのではなく、前日のスープや炊き出した骨を一部残し、新しい豚骨スープを継ぎ足しながら炊き続ける。
この工程を繰り返すことで、時間とともに店独自の風味が育まれていきます。

スープのDNAが語る「見えない住人」

同学部の中山素一教授も加わった研究チームは、この継ぎ足しスープに着目し、DNAシークエンシングによる微生物叢解析を実施しました。
その結果、「クサうま」系の豚骨ラーメン店4店舗すべてのスープから、同一の古細菌(アーキア)が検出されました。

古細菌は、細菌とも真核生物とも異なる生命グループであり、地球上の初期の生命に近い特徴をもつ生物群として注目されています。
研究では、高温環境に適応した古細菌が、継ぎ足しを続けるスープの中で生息している可能性が示されました。

「クサうま」を生み出す微生物の働き

さらに、長時間の高温炊き出しにより生成した豚骨由来のアミノ酸類からこの微生物の働きによって、イソ吉草酸やイソ酪酸などの短鎖脂肪酸類が生成されることが確認されました。
これらの成分こそが、「クサうま」と表現される独特の香りを構成する重要な要素だったのです。

つまり、呼び戻し製法の豚骨スープは、単なる煮込み料理ではなく、「高温環境で微生物の働きを受けながら熟成していく発酵システム」としての側面を持っていることが示唆されたのです。

職人の経験が見抜いていた「発酵」の正体

興味深いのは、この現象を職人たちが経験的に理解していたことです。
福岡県宇美町のラーメン店「駒や」の倉田承司代表は、
「この匂いは納豆に似ている。」
「増えるということは、絶対に菌だ。」
と語り、自らのスープを「発酵」と表現していました。
白衣もDNA解析装置もない時代から、職人たちは五感と経験だけを頼りに、微生物の働きを見抜いていたのです。
味噌や醤油、日本酒、チーズなども同様に、人類は微生物学が確立されるはるか以前から、発酵の力を利用してきました。
豚骨ラーメンの呼び戻し製法もまた、長年受け継がれてきた経験知が生み出した「小さな生態系」と言えるでしょう。

一杯のラーメンが語る、35億年の生命史

今回の研究は、一杯の豚骨ラーメンの中に、約35億年前に誕生したとされる古細菌の営みが息づいている可能性を示しました。
最新のDNA解析技術が、長年にわたり職人たちが積み重ねてきた経験と勘を、科学的な視点から少しずつ裏付け始めています。
博多豚骨ラーメンは、もはや単なる料理ではありません。
呼び戻しによって受け継がれる寸胴の中には、職人の技術だけでなく、目には見えない微生物たちの営みが積み重なっています。
科学は、その「クサうま」の理由を少しずつ解き明かし始めました。

しかし、発酵が生み出すおいしさの世界には、まだ数多くの謎が残されています。
だから私たちは、発酵を通して、おいしさを科学する。
その先には、まだ誰も知らない、おいしさの物語が待っています。

エビデンス

研究機関:九州産業大学 生命科学部(米満宗明教授・中山素一教授)
研究対象:福岡県内の呼び戻し製法を採用する豚骨ラーメン店4店舗
解析手法:DNAシークエンシングによる微生物叢解析

主な知見
・高温環境に適応した古細菌(アーキア)の存在が確認された。
・イソ吉草酸、イソ酪酸などの揮発性有機酸が特徴的な香りに関与することが示された。
・呼び戻し製法によるスープは、高温環境で微生物の働きを受けながら熟成する発酵システムとしての側面を持つ可能性が示唆された。

次回予告

発酵の深淵 第二回
塩がないのに、なぜ発酵するのか。

長野・木曽に伝わる「すんき」。
塩を一切使わず乳酸発酵する世界でも珍しい発酵食品です。
地域の風土と微生物が育んだ奇跡の食文化を、科学の視点から読み解きます