《創刊特別インタビュー》九州大学高等研究院特別主幹教授 都甲潔氏

様々な分野において加速度的にデジタル化が進んでいる。食の分野も同様である。
一方、日本にインターネットが誕生したのは1984年。大学同士を通信回線で結ぶ状態からのスタートであった。その後1993年には、画像が扱えるウェブブラウザ「Mosaic」がリリースされ、今のインターネットが始まる。その2年前の1991年に、ティム・バーナーズ=リーによってWorld Wide Web(www)が公開されている。
このインターネットの商用化の進展に重要な影響を及ぼした1993年に、感性工学分野における高機能デバイスの一つとして世界に先駆けて初代味覚センサSA401が開発された。開発者は、現在、九州大学高等研究院特別主幹教授の都甲潔氏。食の分野におけるデジタル化の幕開けである。それから30年を経て、世界中で「Food Tech」が注目されている。その先陣を切った都甲教授に本webマガジンの創刊にあたり、「味覚センサ」の開発秘話から食の未来についてお話を伺った。

(インタビュアー:味香り戦略研究所 シニアアナリスト 松山彩)

九州大学高等研究院特別主幹教授 都甲潔(とこう・きよし)氏

―味覚センサ開発の経緯を教えてください。

私が、1989年に共同研究を開始したアンリツ株式会社と一緒に味覚センサ初号機であるSA401を開発したのは、今から約30年前の1993年です。当時は今の味覚センサと原理が異なっていたので、甘味を測ることができませんでした。具体的には、30年前に味覚センサの基本原理を作りました。人間の舌に存在する味細胞の生体膜を人工脂質膜で模倣、受容膜に呈味物質が触れることで電圧が変化し、その電位差から味の濃淡やバランスを測定するという原理です。アンリツ株式会社の研究所にいた池崎秀和さんが2002年に味覚センサ事業を引き継ぎ設立したインテリジェントセンサーテクノロジー社が、私の研究結果を基にし、味覚センサの改良を重ねていくことになるわけです。大学の実験室レベルのものをインテリジェントセンサーテクノロジーという民間企業が食品作りの現場に持ち込んでくれて、汎用性が増していく。当研究室は工学部ですから、需要と供給の関係が重要で、需要があれば俄然頑張るという方針です(笑)。

初代味覚センサ SA401

ヒトの感性の可視化への挑戦―センサの新たな取り組み

―味覚センサ開発に関する新しい取組みについて教えてください。

繰り返しになりますが、1993年に開発した初代味覚センサSA401は、応答原理が異なることから人工甘味料(サッカリン・アセスルファムK・アスパルテーム等)や糖類の測定を苦手としていましたが、甘味用センサ(GL1)を開発することで測定できるようになりました。コーヒーに甘味を入れると苦味を軽減・抑制するような感覚も数値化できるようになっています。
現在は、味覚センサによる辛みの測定についても研究を進めています。味覚センサの汎用性を高め、どのように実用化レベルに結び付けるかが課題だと考えています。
進化した味覚センサをフル活用して、味香り戦略研究所がオリジナルで味における基本味を開発し、今までに10万食品を超える味覚データベースを持っている。それを伊藤忠商事と一緒に食品の様々な情報と共に市場に提供するサービスをスタートさせた。こうして汎用性が増していく事で、今後も味覚センサは改良、改善を重ねていけるわけです。大学の研究室と民間企業のとてもいい連携プレーになっていますよね。

味覚センサ TS-5000Z

―今、嗅覚センサの開発に着手されているようですね。

嗅覚センサは、食品をはじめ、医療関係・防災(家庭用ガス警報器、異臭探知)に至るまで、その汎用性の高さを特徴としています。においは基本臭が存在せず、ppm※1からppt※2までと検知幅が広いため、目的に応じていくつかの嗅覚センサがあって然るべきだと考えています。
一方で、中鎖不飽和脂肪酸が乳がん診断におけるバイオマーカー※3の候補化合物となりえることが最新の研究で明らかになっています。こういったことからも、嗅覚センシング技術の活用シーンはますます広がっていくのではないかと予想しています。

※1 ppm : Parts-Per-Million 。100 万分の 1 を示す単位。※2 ppt : Parts-Per-Trillion 。1 兆分の 1 を示す単位。※3 バイオマーカー: 生体内の生物学的変化を定量的に把握するため、生体情報を数値化・定量化した指標。

都甲氏が開発した16チャネルの小型嗅覚センサ

―現状の嗅覚センサの課題や技術レベルはどのような段階でしょうか?

嗅覚センサに求める技術は本来であればGC-MS※4で十分に解決することができます。しかし、GC-MSは精密機器の域を出ないため、持ち運びが困難です。簡便性という部分に嗅覚センサの最大の需要があります。ハンディな嗅覚センサであってこそ最大のメリットがあると思っています。
私は、16チャネルを搭載した小型センサによってにおい物質吸着に伴う電気抵抗変化を測定する嗅覚センサを開発しました。小型化という部分では技術が進みつつありますが、ダイナミックレンジでも目的化合物を定量できる選択性や検出感度の向上、動物と昆虫でも嗅覚受容体のタイプやメカニズムが異なるため、目的に合わせた測定原理の開発や官能との相関が取れた解析原理の構築という点でまだまだ課題があると考えられます。

※4 GC-MS :ガスクロマトグラフ質量分析計。複雑な混合成分をガスクロマトグラフィー(GC)により分離し、質量分析計(MS)で構造解析を行う装置。成分の定性/定量に用いられる。

多くの人に安全・安心・快適な食事を

―今後、食の発展にどのように関わっていかれますか?

大学教授というのは、講演依頼や執筆依頼が多いんです。中には博物館等の公的なものも含まれているので、そういった公の場で食にまつわる事業を紹介したりしています。こういった研究室を飛び出しての啓蒙普及活動を今後も続けていこうと思っています。

―都甲先生が描く食の未来についてお聞かせください。

エンジニアとして、今ある技術を一歩一歩高めていきたいと思っています。これから先は、3Dフードプリンタのような、実用的で便利なものがどんどん普及していくのかなと想像しています。
できるだけ多くの人が安全・安心・快適に、貧困なく、美味しい食をどこにいても食べることができる未来に向け、味覚センサで何らかの貢献ができればと思います。家族、友達、恋人と、安全・安心な食が楽しめるように、さらにみんなが使える味覚センサの形に成長させることが夢です。物事を成し遂げるには、強い意志とそれを実行する勇気をもつことが大事だと考えています。

《PROFILE》

都甲 潔先生
Kiyoshi Tokou

九州大学高等研究院特別主幹教授、五感応用デバイス研究開発センター特任教授。
1980年九州大学大学院工学研究科電子工学専攻博士課程修了後、同大学工学部電子工学科助手および助教授を経て、1997年同大学大学院システム情報科学研究院教授着任。2008年同研究院長、2010年同主幹教授、2013年味覚・嗅覚センサ研究開発センター長(現五感応用デバイス研究開発センター(2018.11.1改名))に。その間、2006年度文部科学大臣表彰・科学技術賞、2013年春の紫綬褒章など、世界初の味覚センサを開発した功績による受賞多数。